社会人男子が気になるコトをつぶやくブログ

アラサーのしがない社会人が気になったこと、好きなものを自由につぶやくブログです

戦前にも東京オリンピックは開催予定だった!気になったので少し調べてみました

いよいよ、東京オリンピック開催がすぐそこまで迫ってきていますね!

 

最近はテレビや雑誌なんかでも東京オリンピックについてたくさん

触れられていますし、僕の大好きな星野源も出演している大河ドラマ

いだてん〜東京オリムピック噺〜」も放送が始まり、来年まで迫った

東京オリンピックを日本全体で盛り上げよう!という気運が

高まっているように感じます。

 

そんな中、先日とある番組でチラッと目にしたのが

東京オリンピック開催は、実は戦前にも予定されていた」

というものでした。結構衝撃的ですよね…。

気になったので、少し調べてみましたので、以下にご紹介いたします。

よければ最後までお付き合いください!

 

 

東京オリンピックの開催は1度目が1964年(昭和39年)

そして二度目が今回の2020年になるわけですが…

 

なんと、1964年の開催よりも更に前、戦前の時代にも一度、

東京での夏季オリンピックが予定されていたようなのです。

 

その予定されていた年は…1940年(昭和15年)。

 

第二次世界大戦の始まりは1939年(昭和14年)のドイツのポーランド侵攻

きっかけと言われているようなので、東京での開催は戦前に企画され、

その後、世界全体が戦争へと向かっていってしまっていたので、

日本は開催国としての権利を返上してしまったようなのです。

 

開催国招致の成功から中止に至った経緯を、少し触れていきたいと思います。

 

招致にいたるまで

日本が東京オリンピック招致を志すキッカケは、日本学生競技連盟の

会長だった山本忠興と、後のIOC国際オリンピック委員会)会長である

ジークフリードとの会談だそうです。その会談の中で、「日本でのオリンピックは

可能かどうか」というのが話題に上ったそうなんですね。話題に上ったエピソードが

日本国内にも広まり、また山本さんの「日本でのオリンピック開催は可能だ」という

活動も相まって、官僚やその他関係各署の方々でも招致に向けての気運が高まって

いったのでした。

 

その後、山本や当時の東京都のトップだった永田秀次郎を中心とした活動により、

1936年(昭和11年)に行われたIOC総会での開催国決定投票を勝ち抜き、

ついに1940年夏季オリンピック開催国の座を勝ち取ったのでした。

またこの際、「いだてん」にも登場している嘉納治五郎が、投票前のスピーチを

行ったそうです。

 

その後も本格的に開催へ向け、明治神宮外苑へのスタジアム建設計画や、その他

着々と準備が進められていったのですが…

世界全体としては、「平和の祭典」を開催するような雰囲気では

無くなってきていた、というのもまた事実でした。

 

様々な批判・開催国権利の返上へ

着々と開催へ向けての準備が進められていたのですが、日本国内、また国外からの

批判をいろいろと受けてもいました。「今の一触即発な世界情勢において、

オリンピックを開催するのは如何なものか」との指摘がされていたのです。

また、当時日本は中国との小競り合い(後の日中戦争)を行っていた最中でも

あったので、国外からの批判も多く受けている状況でした。

 

そんな中、東京オリンピック開催までの功労者である嘉納さんが

なんと病死してしまいます。

 

この功労者の突然の死がキッカケとなり、日本政府は開催国権利の

返上を正式に決定したのでした。

 

最後に

嘉納さんの悲願であった東京オリンピック開催が、世界情勢も相まって

開催ならずとなってしまったのは非常に悲しいですね…。

きっとこの後の「いだてん」でもこのエピソードについても

触れられていくのだと思いますが、経緯を知っている状態でこの後の話を

観てみると、知らない状態で観るのとはまた違った感情を抱くのではないでしょうか。

 

今回はインターネットでの情報を用いてご紹介をしてみましたが、

詳細について書かれた書籍もいくつかあるようなので、また

読んでみたいと思っています。

 皆さんも、良ければ読んでみてください。

 

それでは!